どうして合鴨農法

 

稲は田んぼに水を張ることで雑草との競争に有利でいることができます。水からはミネラルや窒素が供給され、長年の農家が積み上げてきた農法のすごいところです。でも、機械化が進み、農作業が簡略化されるに従って、どういうわけか水の中で稲と競合する雑草が増えてきました(理由は多々ありそうですが…)。雑草対策に合鴨は有効です。田んぼ中を駆け回る鴨の足爪が水を濁らせ雑草の成長を抑制します。稲を襲う虫たちを餌として喰らい、胃袋で細かくして稲の栄養を糞として供給してくれます。僕らは合鴨が田んぼにいるので、夜に獣に襲われないように毎日田んぼに行かなくてはなりません。本当はスマートに自動化して、休みたいのですが、否応なく毎日稲の状態・水管理・病気などのちょっとした稲の変化に気づけます。東アジアの国では昔から合鴨やアヒルが田園風景の中で人と一緒に暮らしています。生き物のいる生活は何かと大変です。お米を作り、肉を育て、田んぼにできない農地では野菜を作る。生きていくために必要な炭水化物とタンパク質とビタミンを農地と山水と太陽を利用しながら、合鴨に背中を押されて一緒に作る。それを生業にする。

まだまだ合鴨農法は日々試行錯誤です。

 

 

(左上から)代かきが終わった小田又集落/合鴨雛の住まいを新たに製作/あっという間に集落は雑草で覆われていく/クロネコで大阪から届いた生後2日の雛たち



 

 

小田又の丘の合鴨農法の手順 1

 

5月、合鴨のヒナが、大阪の孵化場から宅急便で届きます。大人の鴨だと植えた苗を倒してしまうので、毎年ヒナを購入しています。まずは長旅の疲れと渇きを潤すために水を飲ませます。体温調節がまだできないので保温のできる小屋の中で、雛団地と呼んでいるゲージに入れます。羽を乾かすことができるようになったら、外気に慣れさせます。雛団田植えの済んだ田植えの済んだ田んぼを鴨が出ないように網で囲います。空からカラスや鷲や梟が狙うため、近づかないと見えない黒いテグスを張り巡らせます。苗の根が土について、引っ張っても抜けなくなったら、鴨を田んぼ一枚ずつに作った小屋にヒナを移動します。なるべく晴れた暖かい日の朝、田んぼに放鳥します。ピヨピヨ鳴いていたヒナは、田に放すと、オタマジャクシやミミズを追いかけてあっという間にぶくぶく太り始めます。泳ぎ回って土を掘り、雑草の芽を浮かせます。ピヨピヨ期から青年期へ。青年期になると個性が出てきてのんびり泳ぎ回るものや、呼んでも帰ってこない鴨が出てきたりします。8月の稲穂が出て田んぼからあげる日が来るまで、朝は小屋から田に放し、夕方は獣に襲われないように小屋に戻す毎日です。鴨は、田のお仕事が終了したら肥育されて肉になります。

 

 

(左上から)雛団地から鴨が落ちないよう、PPバンドでゲージの隙間を調整/田んぼに行くまでの間、夜は鴨の糞清掃/アヒルの強い鴨/マガモが強い鴨は俊敏



 

 

小田又の丘の合鴨農法の手順2

 

【合鴨が田んばに行くまでの話】合鴨は孵化するのに28日かかります。田植えから一週間で合鴨を田に放すと考え、水ならしの飼育期間を足して、冬の終わり頃にを注文します。産まれてすぐの雛はおなかには黄身を持っていて、膨らんでいるそうです。そのため2日くらいは飲まず食わずでも平気なんだそうです。黄身のおかげか産まれてすぐの雛は大阪から一日かけてトラックに乗ってやって来ても元気です。昨年までは鴨が大きくならず、2021年はしつかり身体を作ろうと、育第環境を考え直しました。孵化場さんに相談に乗ってもらいつつ、考えて今年は雛団地になりました。5階建て6列で30部屋です。各部屋15羽です。多すぎると寝ているときに乗っかって圧死する鴨が出てきます。昨年までは一回り大きな部屋に50羽で、1羽当たりの面積が狭く餌をあまり食べられない雛もいたため個体に大小の差が出てしまいました。やはり初期成長が大切です。鴨がやってくる時期は寒暖差がまだあり夜温は低い時期です。到着して2日は一日中加温し(35度くらい)、そのあとも朝晩は30度以上が必要です。鴨は水鳥の為、到着してすぐに口に含んだ水で羽を濡らし始めます。加温は必要ですが、蒸れた環境は弱る原因にもなるそうです。断熱材で覆った小屋に除湿機を可動。餌やり水やりは朝晩2回。糞尿は下に受け皿を作り、一日一回掃除します。こんな感じで改良していった鴨の育雛環境。

課題はありつつ、嬉しいことに今年は大きくなりすぎて田んぼにいきました。

 

 


(左上から)田んぼの鴨網張り/雛用の水やり器。雛が遊んで糞のトレイまで水浸しになるため、要検討/同時に育苗の作業も進む/田植えが始まる。すでに昼間は高温。空調服と虫除けの網で近未来の世界/鴨網張りには若者たちの力が必要。左は大阪から移住して、野菜の運搬請け負い、カフェ経営で地域の未来を背負う上田君。右は地域づくり応援隊員で小田又の取材をしてくれた三輪さん/雛団地からよく床に鴨が落ちている(落ちても死なない!すごい。)。ゲージ隙間は31mm。/鴨網張りの道具



 

 

小田又の丘の合鴨農法の手順3

 

5月の下旬から田植えが始まります。

田植えをしてから水田雑草が芽を吹きはじめる10日までの間に、準備していた鴨を放します。そして、この作業が終わると同時に、急いで田んぼを囲むようにして網を張り始めます。この網には杭を通す穴が開いているので、そこに針で網を縫うように通し、網の下から鴨が出てしまわないように、杭をしっかりと田んぼの耕盤に打ち込み、網の裾をお手製の道具で泥に押し込みます。ちなみに、草刈りをしやすいように、畔と稲の真ん中を狙うのがポイント。普通の田んぼより周辺は30cm余分に隙間を空けて田植え。田んぼの枚数が多い上に、形も一枚ずつ違うため、この作業は実は結構な重労働です。到底一人では張りきれないので、お手伝いをお願いしています。

稲と鴨の成長を見守っている間は、空からの襲撃に気を抜けません。なので、この杭打ち・網張りの次には、田んぼの上に黒いテグスを張りめぐらせます。短辺2m間隔、長辺はテグスが垂れるのを防ぐために20おきくらいにマイカ線でテグスを支えます。黒いテグスは田んぼや山々の色に同化するので、鴨を狙うカラスや鷹・鷲・梟などの頭のいい鳥たちは、一度でも騙されて羽を傷つけると、以降は空からの狩りを諦めるのです。

合鴨の雛は、餌を食べる場所を覚えてもらうため、田んぼ一つ一つに作った小屋で数日育てます。そして、初めて田んぼに放すのは、なるべく暖かい午前中に。翌日からは天気や鴨の調子を見て、朝早い時間に田に放します。しかし、夜はアライグマやキツネ、タヌキなど合鴨を狙う者たちがいっぱいなので、夕方には鴨たちを餌で呼んで小屋にしまうことが必要です。鴨たちも慣れてくると、軽トラの音で小屋に戻るようになります。このような鴨たちのお世話(?)は稲穂が出そろうまで続きます。

 

 

(左上から)田植えが終わり、網張が進む小田又集落/田植えから3週間ですでにこの大きさ/網張り終盤。新築の小屋に移動/上手く集団生活ができない鴨を救出/しんどい作業にお菓子



 

 

小田又の丘の合鴨農法の手順4

 

8月の初旬、稲穂が顔を出し始めた頃に、鴨の肥育場の製作に取り掛かります。肥育場とは田んぼでの役目を終えた鴨たちが過ごす場所です。

まずは鴨用に田植えをしないで空けておいた田んぼの草を刈り、獣除けの電線が編み込まれた網で囲います。網の下にはアース線入りの防草シートがついていて、アライグマの侵入を防ぎます。肥育場は鴨の大きさによってトタンで3つの部屋に分けます。部屋の真ん中には鴨たちが羽を乾かし休むための丘をトタンで作ります。真夏に日陰も作ってくれます。空には、カラス・とび・鷺除けの黒いテグスを短辺1.5m間隔で長辺方向に張ります。

餌は防草シートの上に撒いていましたが、雨が降ると餌が無駄になるので餌箱を設置しました。それでも餌箱に乗って遊ぶ鴨たちのせいで多くの餌が無駄になっていることから、ワイヤーメッシュで餌箱を隔離しました。餌と水はセットであげます。水がないと餌は鴨の体になりません。水箱はそれぞれの部屋に水が行き渡るように、水路からパイプでつなぎタイマー運転のポンプで送ります。

稲穂が出そろう頃には、穂を食べだしてしまうので田んぼから鴨を引き揚げます。合鴨は空を飛べないようにアヒルとマガモを掛け合わせていますが、電線入りの網を超えてしまうくらいの高さは飛ぶので、羽の先端をハサミで切ってから肥育場に入れます。鴨はもう少し太らせて、そのあと食用になります。

お米を育てるのに世話になった鴨たち。美味しく食べてもらえるように餌の改良や肥育場の設計など試行錯誤しています。販路がまだまだ安定していませんが、生きたままの鴨や、処理場で真空冷凍パックしたもも胸肉のセット、合鴨肉のスモークなどで販売しています。合鴨農法のお米づくりで面積を増やしていくには、役目を終えた鴨たちの販路も大きな課題です。

 

 


(左上から)昨夕小屋にしまった鴨を毎朝、田んぼに放つ/興奮して田んぼに飛び出す鴨たち/鴨網を飛び越えてもなお、群れに属そうとする/稲を剥いていくと穂の成長が始まっている/田んぼにはアライグマの足跡/小屋の上にも足跡/鴨の肥育場造りが始まった/鴨が飛び出さないように羽の先端を切る


(左上から)日が陰って、暑さをしのいでの作業/鴨を入れても水管理が悪いと人間が田車をおす羽目になる。近年の高温で山水が足りていない/肥育場が完成するまで、田んぼの小屋で餌やり。穂が出た田んぼには鴨を出せない/肥育場に放たれ、キョトン



つづく